子育てブログの子供のプライバシーどうなの?
子供の情報の過剰公開に嫌悪感を抱く人が多いようです。
特に、顔写真や実名などを公開しているとプライバシーの侵害だと批判されてしまいます。
子供が成長すると、本人の意思で情報公開を拒否する可能性もあります。
では顔出しをせず偽名にすれば、プライバシーを守れるのでしょうか?
結論、顔出しをせず偽名にすることで、プライバシーをある程度保護することは可能です。
しかし、完全に安全とは言えません。
理由を見ていきましょう。
顔出し実名公開のプライバシー侵害
1.考えられる問題点
1-1.顔写真や実名と偽名との関連性
顔写真や実名と偽名との関連性がバレてしまう可能性があります。
例えば、ブログの内容や他の SNS などの情報から、顔写真や実名を特定されてしまうかもしれません。
1-2.匿名性の悪用
匿名であることを悪用して、誹謗中傷や嫌がらせを行う人が出てくる可能性があります。
1-3.情報の信憑性
顔出しや実名で発信しているブログの方が、情報の信憑性が高いと感じる人もいるようです。
偽名だと、情報の信頼性が損なわれる可能性もあります。
2.プライバシー保護と情報公開のバランス
子育てブログでプライバシーを保護するためには、顔出しや実名公開以外にも、以下のような対策が有効です。
- 具体的な場所や個人情報は公開しない
- 子供の年齢や性別を具体的に書かない
- 子供の学校や習い事などの情報を公開しない
- ブログの内容を公開する前に、家族に許可を得る
これらの対策を講じることで、プライバシーをある程度保護しながら、情報発信を行うことができます。
3.まとめ
以上のことの踏まえて、最終的に情報公開の範囲はご自身の判断で決めることが重要です。
子供が成長して、本人から情報公開の停止の要望があったら、そこは子供の意思を尊重するのが良いでしょう。
顔出し実名は最強なの?
一般的に顔出しや実名で発信しているブログの方が情報の信憑性が高いと言われています。
ですが、情報の信憑性や正確性は顔出しや実名公開の有無だけで判断すべきではありません。
情報の有用性や正確性を判断するには、以下の点に注意する必要があります。
1.情報を判断する際の注意点
それぞれ、情報源・内容・自分で判断する際の注意点を各項目で確認していきましょう。
- 誰が発信している情報なのか?
- その発信者は、その分野の専門的な知識や経験を持っているのか?
- 情報源の信頼性はどうなのか?
- 情報は具体的に示されているのか?
- 根拠や出典が示されているのか?
- 情報は最新のものなのか?
- 他の情報源と矛盾していないか?
- 情報にバイアスがかかっていないか?
- 自分の思い込みや偏見で情報を見ていないか?
- 情報を批判的に思考しているか?
上記のような点に注意し、複数の情報源から情報を収集し、比較検討することで、より正確な判断をすることができます。
2.顔出しや実名公開が情報の信憑性に関わる理由
しかし、顔出しや実名公開が、情報の信憑性に関わる場合があるのも事実です。
その理由は、以下の通りです。
2-1.顔出しや実名公開には責任が伴う
顔出しや実名で情報を発信している人は、自分の発言に対して責任を持つ必要があります。
そのため、虚偽の情報や誤解を招くような情報は発信しにくいと考えられます。
2-2.顔出しや実名公開には知名度や信頼性が必要
顔出しや実名で情報を発信するには、ある程度の知名度や信頼性が必要です。
そのため、そのような情報を発信している人は、ある程度の情報精度が担保されていると考えられます。
ただし、これはあくまでも一般的な傾向であり、必ずしも当てはまるわけではありません。
2-3.例外もある
顔出しや実名で発信している情報でも、必ずしも真実とは限りません。
逆に、匿名で発信している情報でも、真実である可能性は十分にあります。
3.まとめ
重要なのは、情報の信頼性を判断するために、様々な情報源を比較検討し、批判的に思考することです。
おわりに
今回、子育てブログの子供へのプライバシーの侵害と言うことでお伝えしましたが、恥ずかしながら顔出し実名のやり取りで少しムキになってAIに質問してました。
本当に個人的な見解の話で、情報の信憑性は有名無名、顔出しの有無、実名偽名に関係なく興味を持ったら、その情報について兎に角、調べるのが定石だと思います。
有名だから、素顔出しているから、実名で発信しているから、それのみで信じ切るのは心許ないので色々な意見を参考に、その情報が自分にとって有用なのかを判断しています。
考え方はそれぞれ違います。
今思うとムキになってしまったのは一度、AIが出してきた回答に自分の定石をぶつけてみたかったのかもしてません。
「否定と肯定」どちらが来るのか見たかったのだと思います。
結果、本当に公平な回答が返ってきて嬉しいような、拍子抜けのような複雑な気持ちでした。
でも、勉強になりましたし楽しかったです。
雑な文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
では、また。